かわら版【社長気まぐれブログ】

バレンタインデーに節分の話でもありませんが、節分の日に追われる鬼は何故トラのパンツ?を履いているかを伺ったので、書き込んでみます。

家を建てる時などに、玄関やトイレをもっていってはいけない方角に「鬼門」と言うのがありますよね。
この鬼門という方角が「丑寅」の方角なんだと言う事です。

だから鬼は丑の角と寅の牙を持っているのだそうです。

実際に鬼を見た事がないので、確認できませんが、「へぇ~」と思ったのでご紹介いたしました。

2012年 2月 14日 掲載

今日で1月も終わりです。
地方によっては晦日正月と言い、お蕎麦を食べたりするところもあるそうです。
古の先人たちの鋭敏な感覚は、ことば一つにも垣間見ることができるように感じます。

昔2月3日はなぜ豆をまくか?と問われて???となった経験があります。

節分とは昔は「せちぶん」と発音されていたのだそうです。
おせち料理の「せち」も同じ意味なんだそうです。

せち=季節で、節を分けるという日。
この日を境に春になり、五穀豊穣を祈ったのが豆まきの由来だそうです。
(お寺の住職さんに伺った話なので、諸説あるかもしれませんが・・・。)

桃の節句、端午の節句など、言葉の意味や由来を知ると、また違った感慨が沸いてきます。

2012年 1月 31日 掲載

日本語についてまた一つ感心した事がありました。
学校の算数や国語のテストで○×がつけられるのが答え。
人の呼びかけや、働きかけに対して、それに添うような反応を示す。が応え。
前者の答えには「合」という字が含まれていて、後者には「心」という字が使われています。

小学校で1+1= と問えば答えは「2」 なぞなぞなら「田」というのが模範解答でしょうか。
マニュアル至上主義の現代ですが、私たち商い人が問われるのは答えではなく応えです。
そこには模範解答はあっても○×で論じられるものではないように感じます。

昔ある飲食店で先輩が「味噌汁が飲みたい」と言ったのに対して「うちのメニューにそんなものネェよ」と答えた店主が居ました。
その言い方が元で喧嘩になりそうになりましたが、10年以上経った今、そのお店は廃墟と化してしまいました。

人と人、ことに私たち商い人はお客様の要望にいかに応えるか、また出来ない事に対しても、如何に心を添えるかを忘れてはいけないのだと感じます。
こういう事を気付かされる度に、日本人に産まれてこれて良かったと思います。

2012年 1月 25日 掲載

先月ケーブルテレビの取材がありましたが、今日から年末までの2週間、地元のチャンネルで放映されるそうです。
番組は「オレンジの知多半島ワーキンGOOD」
15分程の番組ですが、取材はほぼ一日がかり、おかげでオレンジさんと一緒に過ごす時間が長かったこともあり、ファンになってしまいました。

2011年 12月 19日 掲載

先日、またお得意様から廃業のご連絡をいただきました。
個人経営の八百屋さんなのですが、うちとはもう30年以上のお取引のお客様です。

今年は例年にも増して、廃業、倒産という声を多く聞きます。
理由はどうあれ、終焉を前にした経営者に共通して感じるのは「元気」の無さです。

瀕死の重症を負った人でも明日の事を話している人は助かる確率が多いというのを昔テレビで見た事がありますが、総じてみればその人の気持ち次第で続けるか、諦めてしまうかが決まってしまうのだなと思います。

先日聴いたお話の一つに、「ありがとう」を一日3万回言う人の事を聞きました。
まったく気持ちの伴わない「ありがとう」であっても、会社の状況を見ていると「ありがとう」という言葉には何かしらの力が存在するのだろうと仰っておりました。

発する言葉で状況が好転するなら、その言葉を信じて試してみる価値はありそうです。
しかし、私の知る諦めてしまった経営者はそれを言っても何かと理屈をつけて試しもしないような人でした。

という事は、大切なのは、つきを呼ぶ魔法の言葉よりも前に、人の言う事を聞ける「すなお」さって事になりますね。

2011年 12月 16日 掲載

今朝、某国営放送の朝の番組で取り上げられていた話題です。
青木は以前にも聞いた事があるので、ご存知の方も多いでしょうが、涙を流す事がストレス発散や癒し効果に影響しているという事。

今日紹介されていたのは、泣き方によっても癒し度が違うというものでした。
うるうる泣いたり、しゃべりながら泣いたり、顔をクシャクシャにして号泣するのでは、号泣するのが一番癒し度が高いのだそうです。

また、人は過去の経験によって共感できるポイントが違う事が泣くポイントの違いになっているという事でした。
年を重ねる毎に涙もろくなるというのは、経験値が上がる事によって、共感できるポイントが多くなるからなのだというものでした。

私も疲れてくると、DVDを見たりして涙を流す事がありますが、共感できる事に涙するポイントがあるというのは、なんだか納得できました。

以前に書いたコラムの中に、壬生義士伝の事を書いた事がありますが、これは家族の為に新撰組隊士となって命を削りながら仕送りする主人公と、自分の父親の姿を重ねて見ていたのだろうと思います。

もちろん家の父親は渡辺謙さんのようにカッコ良くはなかったし、当時と現在では命を懸けるという意味合いも比べ物にならないとは思いますが、私の父は私の大学の卒業と同時に身体を壊し、その翌年他界しました。
4年に上がる春から8ヶ月間、夏休みも実家に帰らず、その年の年末2日間だけ帰った時に見た父の様子を今でも覚えています。
丈夫だった父の手足はむくみ、歩き方から箸のあげおろしまで、8ヶ月の間に53歳の父が30歳も年を取ったかのようでした。

酒もタバコも賭け事もしなかった父は、趣味らしいものもなく、私と姉妹の子育てを終えるのを待って、自分の人生を楽しむ時間を享受する間もなく逝ってしまいました。

なので、家族の為にとか、誰かの為に自分を犠牲にするような場面になると、私の涙腺は緩みっぱなしです。

今日は、早く帰って久しぶりに壬生義士伝を見たくなりました。

2011年 10月 25日 掲載

倫理法人会のメンバーさんの中には、誰かがいいよと言うと、素直に自分もそれを取り入れる方が多くいらっしゃいます。
倫理は人間の我儘を捨て、すなおになる勉強だからです。

先日のモーニングセミナーでうかがったお話です。
その人は、一日3000回、「ありがとう」を言うという事を目標の一つとして掲げてると、会員スピーチで仰いました。

その言葉を受けて講話者の方は、「仲間の中には一日3万回言っている者が居る。 そのほとんどが心のこもらないありがとうだけれど、傾いていた会社が変わりつつあるから、やはり『ありがとう』という言葉の中には秘めた力があるのだろう。」と紹介されました。

聴いていた自分もそうかもしれないと思い、とりあえずカウントまではしませんが、車の運転中などに気をつけて、「ありがとう」の連呼を始めました。
するとあら不思議、ありがとうと言いながら運転していると、無理な割り込みや煽ってくる車に腹を立てる事が少なくなります。

これもありがとうの効能かもしれません。

写真写真は、碧南市の七福醸造さんの工場に張ってあった「祝福神」。

七福醸造さんは、いつ行っても工場見学をさせていただけます。

2011年 10月 21日 掲載

フグの粕漬け(試作品)フグの粕漬け(試作品)

写真はフグの粕漬け(試作品)です。

知多半島でフグ漁の解禁は10月1日からだったそうです。
粕漬けつながりで今年の2月~3月頃にフグの干物を購入して粕漬けにしたのものです。
試作品なので、コストは度外視して半年間冷蔵熟成させました。

あめ色のフグは粕を落としてちょっと炙ると、美味です。
いいお酒の肴になりそうです。

2011年 10月 06日 掲載

カボチャの醤油漬(あま辛)ミョウガの甘酢漬

新しい商品の取り組みはいつも心がけている事の一つ。

写真はカボチャの醤油漬(あま辛)です。
商品紹介には出ていないミョウガの甘酢漬は数年前からの商品ですが、この2点は夏だけの商品として定着しそうです。

2011年 10月 04日 掲載

弊社は9月末が決算なので今日から新しい年度がスタートです。
昨年は、(も、かな)小さなつけもの屋を取り巻く環境は大変厳しく下がる一方の売上にも苦心させられました。

只、こういう時期だからこそ基本に戻って元気出していかなきゃって思える自分になれているのは様々な人のご縁や教えがあっての事だと感謝しています。

これからも、作物を提供してくれる近隣の農家さんの為にも頑張って美味しいものを作らなきゃと思います。

先月の下旬に4ヶ月間50時間にわたる「農商工連携人材育成セミナー」という勉強会の全てのカリキュラムが終わりました。
我町武豊町からは私だけだったので、どれだけのヒントを得られ、それをどれだけ持ち帰れるかとの思いで参加していました。

私が感じたのは、これからの地方の活性化これまでのように行政区の枠に囚われていては益々難しくなるという事でした。
例えば何かのイベントやプロジェクトをする時に、武豊町ではなく、知多半島の中の武豊町という観念が必要だという事です。

前のコラムに書いた町おこし委員会でも、以前から武豊町の観光パンフレットを作るよりも知多半島のパンフレットを作るように進言したりしてきましたが、その度に予算の出所がどうのという理由で却下されてしまいます。

愛知県も観光推進事業の一環でエコツアー企画の支援をしたりしていますが、食旅にしろ体験観光にしろ遊びに来られる方にとっては同じ知多半島だという事を我々受け手が認識しておかなければなりません。

二宮尊徳翁が言うタライの水の例話のように、かき寄せようとしていては、水面の花びらは脇から逃げていくばかりなのだと早くわかって欲しいと思います。

セミナーの調理実習風景写真はセミナーの調理実習風景です。

2011年 10月 01日 掲載